何もしない贅沢——龍雲寺禅堂の断食体験で、心と体を“空っぽ”にするという選択
- 龍雲寺禅堂スタッフ
- 4月6日
- 読了時間: 5分

「何もしないこと」に、どんな価値があるのか。もしかすると、これは現代を生きる私たちが、もっとも忘れがちな問いかもしれません。
静岡県浜松市にある龍雲寺禅堂は、700年続く禅寺「龍雲寺」の一角にある断食道場です。その言葉だけ聞けば、修行の場を想像する方もいるかもしれません。けれど実際には、とても静かで、穏やかで、そして、何よりも「自由」な場所。
ここでは、決まったスケジュールに縛られず、一日一食のファスティングを行いながら、自分自身とゆっくりと向き合う時間が流れています。
リゾートホテルのような豪華さも、観光地のような華やかさもありません。だけどここには、「何もしない」ことの贅沢さがあります。そしてそれこそが、現代人にとってもっとも必要で、もっとも豊かなリトリート体験なのではないかと、私は感じています。
「時間」が“空”になるという体験
龍雲寺禅堂に滞在すると、まず最初に感じるのは「時間の流れ方が違う」ということです。
スマートフォンやSNS、メールや会議に追われる日常では、数分単位で予定が埋まっていくのが当たり前。ですが、禅堂では「次に何をするか」が、必ずしも事前に決まっていません。講座のスケジュールも、当日の天気や住職の予定に合わせて変わります。
最初は戸惑う方もいらっしゃいます。でも、2日目、3日目と経つうちに、決まった予定がないことが、こんなにも自由で心地よいのかと、皆さん口を揃えておっしゃいます。
「なにも起きなくていい」「なにも決めなくていい」「ただ、ぼんやり過ごしていてもいい」
その体験が、忙しい日常から解放される最大の鍵になるのです。
ファスティングは、体と心を空にする“間”の時間
龍雲寺禅堂で行われているのは、一日一食のやさしい断食です。完全に食を絶つわけではなく、昼食に精進料理をいただき、朝と夜は基本的に食べずに過ごします。胃腸を休めることはもちろん、何よりも「食べない時間」に、驚くほどたくさんの気づきがあります。
「いつも、どれだけ“食べること”で気を紛らわせていたか」「お腹が空くって、こんなに静かで自然な感覚だったんだ」「本当は、そんなにたくさん食べなくてもよかったのかもしれない」
断食道場でのファスティングは、痩せるためでも、美容のためでもなく、“余白を作る”ための時間です。
食べる時間がないからこそ、ゆっくり歩く、座る、景色を見る、深く呼吸する…。そんな当たり前のことが、いつもより丁寧に感じられるようになります。
宿坊での暮らしが、贅沢な“なにげなさ”を教えてくれる
宿坊とは、お寺の一角にある宿泊施設のこと。龍雲寺禅堂は、完全な個室型の宿坊として運営されています。
お部屋は畳敷きで、シンプルなお布団、冷暖房、バス・トイレ付き。Wi-Fiや浄水器、空気清浄機なども完備されていて、設備としては決して不自由はありません。
けれど、そこにあるのは“ホテルのような豪華さ”ではなく、**「なにげない心地よさ」**です。
滞在者の多くが「ただ畳の上に座っているだけで、心が落ち着く」とおっしゃいます。それは、おそらく空間の静けさだけではなく、自分自身の中に“何も詰めこまなくてもいい”という感覚が生まれているからなのでしょう。
ホテルのようなラグジュアリーなサービスはありませんが、タオル類は毎日交換され、洗濯機・乾燥機も無料。お茶や炭酸水も自由に飲めて、読書スペースには仏教や健康に関する本も並んでいます。
そうした一つ一つが、「何もしないけど、満たされる」という感覚を生み出してくれます。
何かを得るより、何かを手放す旅
現代の旅行やリトリートは、何かを“得る”ことを目的とするものが多いように思います。きれいな景色を見る、美味しいものを食べる、スパで癒される…それもとても大切な時間です。
でも、龍雲寺禅堂での断食体験は、**何かを「得る」のではなく、何かを「手放す」**ための時間です。
食べすぎていた習慣を手放す無意識に抱えていた緊張を手放す知らないうちに積み上げた「ねばならない」を手放す
そうして空っぽになった心と体に、ふと差し込むやさしい光のような気づきが、ここにはあります。
龍雲寺禅堂が「また来たくなる」理由
この禅堂には、3ヶ月先まで予約が埋まっていることも珍しくありません。いわゆる「ホテル予約サイト」に出しているわけでもなく、派手な広告もしていない。なのに、なぜ多くの人がここに集まり、また帰ってくるのでしょうか。
それはきっと、「また元気を取り戻したい」と思った時に、**“何もしなくてもいい場所”**が必要だからだと思います。
「頑張って変わる」のではなく、「ゆっくり戻る」ための場所。「誰かと話す」ことより、「自分と静かにいる」ことが許される空間。
現代社会では、そういった場所は本当に希少です。だからこそ、龍雲寺禅堂のような断食道場が、今、多くの方に必要とされているのだと実感しています。
最後に——贅沢の定義を、少し変えてみませんか?
贅沢って、なんでしょう?高級なホテル? 美味しいコース料理? SNSで映える旅先?どれも素敵です。でも、こんな贅沢もあっていいと思うのです。
「今日は、なにもしない」「何も考えずに、ただ、いる」「一人だけど、孤独じゃない」
それが龍雲寺禅堂で過ごす時間の本質であり、それこそが、現代人にとっての本当の贅沢ではないでしょうか。
龍雲寺禅堂は、いつでも静かにあなたをお迎えしています。予約が取れたときは、ぜひ「なにもしない」時間を味わいに来てください。あなたの心と体が、きっとやさしく整っていきます。
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