top of page

龍雲寺禅堂で五感を取り戻す|静けさの中で目覚める、感覚のリトリート体験

  • 執筆者の写真: 龍雲寺禅堂スタッフ
    龍雲寺禅堂スタッフ
  • 4月29日
  • 読了時間: 5分
こころとからだを見つめる場所
こころとからだを見つめる場所

私たちは日々、数えきれない情報に囲まれて暮らしています。

スマートフォンの通知、SNSの投稿、騒がしい街の音、スケジュールに追われる生活…。知らず知らずのうちに、五感は鈍り、心も体も“感じる力”を失っていっているのかもしれません。

そんな現代の私たちにとって、龍雲寺禅堂での断食体験は、単なるファスティングではなく、まさに**「感覚を取り戻すリトリート」です。一日一食のやさしい断食と、シンプルで整った宿坊**空間の中で、呼吸し、眠り、食べ、香りを感じ、静けさに耳を澄ませる——

それは、五感と再び出会い直す旅でもあるのです。



視覚|“見ない”からこそ、“本当に見る”ことができる


龍雲寺禅堂では、スマートフォンをできるだけ使わずに過ごすことをおすすめしています。デジタルデトックスというほど大げさなものではありませんが、自然と画面を見る時間が減り、その分、目の前にあるものをゆっくりと見るようになります。

たとえば…

  • 朝の光が、障子越しにやわらかく差し込んでくること

  • 精進料理の一皿一皿に込められた手仕事

  • 枯山水の白砂に描かれた美しい線

  • 畳の目や、木の節、湯のみの影

「視る」ではなく「見る」。普段なら通り過ぎてしまうような何気ないものが、ふと目に留まり、心を静かに動かしてくれます。

断食道場という非日常の空間だからこそ、“目の感覚”もまた、研ぎ澄まされていくのです。




聴覚|“静けさ”という音に、耳を澄ます


龍雲寺禅堂に滞在された方の多くが、「音がとても印象的だった」と話されます。それは決して、音楽や言葉ではありません。

  • 朝のお勤めの鐘の音

  • 庭の木々を揺らす風の音

  • 禅堂を歩く足音

  • 雨が屋根を打つ音

  • 誰かがふと息をついた小さな気配

それらの音は、普段の暮らしの中ではかき消されてしまうほど小さなもの。けれど、断食によって体と心が静かになると、それらがくっきりと聞こえてくるようになるのです。

情報の波の中で、ずっと“聞き流していた自分”が、そこでは静かに耳をすませている——そんな感覚を味わえる時間です。




嗅覚|香りに包まれることで、自分が“今ここ”にいると気づく


龍雲寺禅堂では、滞在中に「本物のお香体験」が行われる日があります。この体験では、ただ香りをかぐだけでなく、香木の種類や歴史、香りがもたらす効果などを学び、実際に自分のためだけに香を焚く時間を持ちます。

さらに、本堂には、ほのかに香る白檀や沈香の香りが漂っており、その香りが日々の呼吸をゆるやかにしてくれます。

また、断食中は食べ物の匂いにも敏感になり、たった一杯のお茶の香りや、精進料理に使われた出汁の香りすら、心に残るほど豊かに感じられます。

普段なら当たり前すぎて気づかない「香り」が、“今ここにいる”という実感をもたらしてくれるのです。




触覚|手のひら、足の裏で感じる、暮らしの質感


ファスティング中は、感覚が研ぎ澄まされ、触れるものの質感にも敏感になります。

  • 畳の上に裸足で立ったときの感触

  • 湯呑み茶碗の温もり

  • 枕に頭をのせたときの軽さ

  • 作務衣のやわらかな生地

  • 禅堂の木の床に手をついたときの温度

「断食道場」と聞くと、“修行”や“我慢”のイメージがあるかもしれません。でも、ここでは触れるすべてがやさしく、心地よいことを大切にしています。

小さな触感の積み重ねが、内側の“安心”を育てていく——それもまた、宿坊で過ごす時間のひとつの効能です。




味覚|食べないからこそ、食べることの“意味”を思い出す


龍雲寺禅堂の断食体験では、一日一食の精進料理をいただきます。この食事は、ただの栄養補給ではなく、「食べること」と丁寧に向き合う時間です。

  • 噛むたびに、野菜の甘みや苦みが広がる

  • 具だくさんの味噌汁から出汁の奥行きを感じる

  • 一粒のご飯のありがたさが、心に染みわたる

食べるという行為は、毎日の当たり前かもしれません。でも、ファスティングを通じて食べない時間を過ごすと、食事が“生命の儀式”のように思えてくるのです。

この体験を通して、多くの方が「帰ってからも食事に感謝できるようになった」とおっしゃいます。まさに、味覚という五感が、再び目を覚ます瞬間です。




五感が整うと、心が自然と整っていく


龍雲寺禅堂の断食は、「心と体を空っぽにする」ためのものではありますが、実際にはその“空っぽ”の中に、驚くほど多くの「感覚」が宿っていることに気づかされます。

  • よく見えるようになった

  • 小さな音が聞こえるようになった

  • 香りを感じられるようになった

  • 触れることが心地よくなった

  • 食べることがありがたくなった

それらの変化が、静かに、でも確かに、内側から整えてくれるのです。

「断食道場」「宿坊」「リトリート」…言葉はさまざまでも、龍雲寺禅堂は、感覚を取り戻す場所として、多くの方に選ばれてきました。




最後に|五感が教えてくれる、“いまの自分”


目を閉じて、香りを吸い込み、静かに坐る時間。畳の感触を足の裏で感じながら、風の音に耳を澄ませるひととき。小さな器に盛られた一口の食事を、感謝とともにいただく喜び。

それは、誰のためでもなく、「いま、ここに生きている自分」のための時間です。

龍雲寺禅堂での断食体験は、体重を落とすためでも、修行のためでもなく、五感を取り戻し、自分自身とやさしく再会するための旅だと、私たちは思っています。

今、少し疲れていると感じている方、感情の揺れが大きいと感じている方、自分のことがわからなくなっている方へ——

一度、感覚を休めてみませんか?

そしてその先に、きっと、まだ出会ったことのない“静かな自分”が待っているはずです。

댓글

별점 5점 중 0점을 주었습니다.
등록된 평점 없음

평점 추가
bottom of page