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リトリートとは何か──「整う時間」を求める現代人へ

  • 執筆者の写真: 龍雲寺禅堂スタッフ
    龍雲寺禅堂スタッフ
  • 7月23日
  • 読了時間: 3分
調える時代
調える時代

「リトリートってなに?」から始めよう

ここ数年、「リトリート」という言葉を耳にする機会が増えました。けれど、「リトリートとは何か?」と聞かれて、すぐに答えられる人は意外と少ないかもしれません。

リトリートとは、英語の “retreat” に由来し、「退く」「避難する」といった意味を持つ言葉です。そこから転じて、現代では「日常から一時的に距離を置き、心と体を整えるための滞在」のことを指します。

観光旅行やレジャーと異なり、リトリートは“何もしない”をする時間。予定を詰めず、情報から離れ、自然や静けさの中で心身を調律する。そんな内省的な時間が、多忙な現代人の間で注目されているのです。



リトリートは何のためにあるのか?

スマホやSNS、仕事や人間関係──情報と刺激に囲まれた日々のなかで、私たちは“自分”という軸を見失いがちです。

リトリートは、その「見失った自分を取り戻す」ための時間でもあります。仕事に追われる日常から退き、誰の期待にも応えない時間を持つ。それによって、本来の思考や感情がよみがえり、次の一歩を見つけられるようになるのです。



リトリートの効果とは?──身体と心、そして「思考」までも整える

リトリートによって得られる効果は、身体的な回復にとどまりません。

  • 頭がすっきりして判断力が戻る

  • よく眠れるようになる

  • 自分の気持ちに気づける

  • 長年抱えていた不安や迷いがやわらぐ

これは、静けさや空腹、自然との接触、呼吸のリズムなどが神経系に影響を与え、脳と心を整えるからだと考えられています。



リトリートの種類──「断食」「瞑想」「自然体験」など

リトリートはさまざまな形式があります。代表的なものは次のとおりです。

  • ファスティング(断食)リトリート

  • 瞑想・マインドフルネス系リトリート

  • ヨガ・呼吸法を取り入れたリトリート

  • 森林浴や海辺など自然環境での滞在

  • 禅・仏教の教えに基づいたリトリート

いずれも共通するのは、“回復ではなく再構築”を目的としている点です。



禅とリトリート──仏教的視点から「何もしない」を考える

仏教、とりわけ禅宗では、古くから「日常を離れ、坐して心を調える」ことが重視されてきました。

坐禅とは、身体を整え、呼吸を調え、心を調えるという三つの調和によって、「本来の自己」に気づくための修行です。

つまり、禅的なリトリートとは「ただ坐る」「ただ息をする」「ただここに在る」という、きわめてシンプルで深い体験。そこには娯楽もエンタメもなく、あるのは“気づき”の空間だけです。

「何もしない時間」を怖れず、そのままを味わうこと──それこそが、禅が古来より説いてきた“心を整える”在り方なのです。



リトリートするなら?──静けさと整う時間を求めて

リトリートを体験してみたいと思ったとき、どこに行けばいいのでしょうか。

自然の中で過ごせる場所、携帯の電波が届きにくい場所、食事が制限されている場所、静かに過ごすことを尊重してくれる場所──そんな条件を満たす場所が理想的です。

例えば、静岡県浜松市にある「龍雲寺禅堂」は、1日1食の精進料理と、坐禅・法話・読経を中心としたスケジュールによって、“何もしない贅沢さ”を全身で体感できる場所です。

2泊・3泊・6泊から選べる滞在プランは、禅の世界に身を浸しながらも現代人が無理なく体験できるよう設計されており、初心者にもおすすめです。

ここで過ごす時間は、単なる「癒し」ではなく、「自分の軸を取り戻す」ための静かな挑戦になるはずです。



まとめ──リトリートとは「心の余白」を取り戻すこと

リトリートとは、「どこかに行く」ことではなく、「自分に戻る」こと。

何もしないことを恐れず、誰の評価も受けず、静かに座り、静かに感じ、静かに整える。その時間が、自分にとってどれほど必要だったかに気づく人は多いはずです。

情報やスケジュールに追われることなく、ただ在ることを許される──そんな時間こそ、現代人にとって最も贅沢な「旅」なのかもしれません。


 
 
 

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